ことの発端は、東国原知事の発言。
東国原知事が徴兵発言で釈明 今度は「徴農制」
2007.11.29 21:24
宮崎県の東国原英夫知事は29日、徴兵制に賛意を示したとされる発言について「徴兵制を容認していない。戦争に直結するものでは全然ない」と弁明した。同時に、若者に一定期間、強制的に農業を体験させる「徴農制」などの仕組みが必要との考えを強調した。
東京都内で開かれた「道路整備の促進を求める全国大会」終了後に報道陣に答えた。
東国原知事は「徴兵制」発言について「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった」と釈明。
「この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と解釈してほしい」とした上で、知事は「例えば徴農制とかで一定期間、農業を体験するとか、介護、医療、災害復興の手伝いなどをある程度強制しないと今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけないと危惧(きぐ)している」と強調した。
東国原知事は28日に宮崎市内で開かれた県民との座談会で宮崎市内で開かれた県民から直接意見を聞く「県民ブレーン座談会」で「僕は徴兵制はあってしかるべきだと思っている。若者は1年か2年ぐらい自衛隊か、ああいうところに入らなければならないと思っている」と発言していた。
産経ニュースより
それで、この徴農制を本気で考えてみたら、どうなるだろうか。
もちろん方法論のHowではなくて、何をやったら何がどう変わるかのWhat、という論点で。
先ず、徴農制を行うとして、その目的は?
東国原知事は、
- 現状では、若者は「今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけない」
と言っている。
すると、
徴農制の目的は「若者が、今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけるようにする」となるだろうか。
成る程確かに、「若者が、今後の担い手不足、社会構造の変化に付いてい」くというのは、とても大事なことだと思う。
日本は、2006年に人口が純減に転じた。
単純計算で、全てが今のままだとすると、経済成長率も下がるのみということになる。
それどころか、現在の日本の人口ピラミッドは逆三角形の形となっているので、老人=非労働人口を少ない労働人口で養うことになる。
これが「今後の担い手不足」。これも単純計算の式の中に組み入れると、更に経済成長率の低下要因となる。
また、もうすぐ2007年も終わるが、まだ人口減少は実感としてはない。
だが、あと何年か、何十年かすると、嫌でも人口減少を肌で感じることになる。
老人と子どもに対する見方は、今とは違う物になるのではないだろうか。
見方が変わるだけならまだ良いが、おそらく、その周りの制度や在り方なども変わってくるだろう。
これがさしずめ「社会構造の変化」だろうか。
うん、それじゃあこれら「今後の担い手不足」「社会構造の変化」に対して、どうなったら良いんだろう?
認識?
認識するだけで良いのかな?
確かに認識さえすれば、行動につながる、という考え方もあるな…
逆に、認識だけしても、行動にはつながらない、とも言える。
この辺は、言葉の問題であって、現実世界では、どういう環境・雰囲気を作るか、ということが大切なのかも知れない。
じゃあ、どういう環境・雰囲気を作ろう?
学生達それぞれが、主体性を持って、自分たちで考え、行動する?
それとも、日本というものを愛国心を持って見つめ直し、国のため、自分たちのために頑張る?
ここは、よく分からない。
東国原知事は、「付いてい」けるように、と言っていたが、そもそも「付いていく」とはどういう意味だろうか。
とっても抽象的で、曖昧な言葉だと思う。
じゃあ逆に、徴農制を制定することで、どうなるだろう?
若者に、どんな影響があるのだろう。
これは全くの(少なくとも私にとっては)新しい制度だと思うので、想像で語るしかない。
ただ、多少なりともヒントはあるだろう。例えば、徴兵制とか。
徴兵制を敷くことで、若者達にはどのような影響があるのだろう。
良い影響も、悪い影響も、あるのだろうな。
徴兵制がヒントとか言ったが、私にはさっぱり分からなくなった。
良い影響と悪い影響があるのは確実だと思うが、具体的に、どのような影響があるのだろうか。
それを語るには私は若過ぎるのだろうか。
ただ、何となく思うのは、マクロ的な影響は何一つないのかも知れない、ということだ。
そもそも価値観が多様化し、若者といってもそれは年代を示しているだけで、一つの思想・価値観集団を表しているのではない。
だから、例え全員に同じ経験をさせても、感じ方は若者それぞれ違うんじゃないだろうか。
何を当たり前な、と仰るかも知れない。
そう、当たり前だ。
同じ経験をさせても、全ての人に同じ影響を与えることは出来ない。
昔からこれは当たり前のことだったんだろう。
だが、現代では更に進み、例えばAという同じことを100人が経験したとしたら、
昔は50人が同じ影響を大なり小なり受けた。
しかし、現代では、同じ影響を受けるのは、10人なんじゃないだろうか。
この根拠を、具体的に示すのは難しい。
ただ、何となく、そう思うだけだ。
大人は50の集団が2つあるだけかも知れない。
けれど、若者は、10の集団が10つある気がする。
徴農制を本気で考えたらどうなるか、と銘打って、徒然に書いてきた。
ここで今の、私なりの着地点を一言で述べるなら、
「徴農制などは学生に影響を与えることが出来ないため、無意味」
となるだろうか。
一言で言えば「個人主義」なのかもしれない。
ただ、個人主義という言葉はアメリカの言葉だった。
日本での個人主義は、アメリカのそれとは、全く別の物なんだろう。
もしかすると、社会構造の変化についていけていないのは、東国原知事なのかも知れない。