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2008年02月11日

手書き?

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/02/11

こんばんは、古田です。
日経を読んでいたら、「ほー」っというような記事を見つけたので。

とある方が自分の習慣を元に、コミュニケーションを語っていました。
極端に要約すると、メールは一方向の連絡や告知に極めて有効に機能し、その他の双方向を前提としたコミュニケーションにおいては、出来れば直接会って話すことが望ましい、というものでした。
まあ、よく言われていることでもありますね。

その理由は、これまたごく普通に言われていることでもありますが、会話の内容以外の要素、特に感情がコミュニケーションには大事だからだそうです。


  • 対面(雰囲気など)
  • テレビ電話(音と映像のみ)
  • 電話(音のみ)
  • 手書きの手紙(文字のみ)
  • メール(内容のみ)

コミュニケーションの手段って、これぐらいでしたっけ?
下に行けば行くほど、シンプルに、情報量が少なくなります。

なるほど・・・確かに情報量は多い方が、相手に伝わる物は多くなります。
でも逆に、送り手と受け手に一定の能力がないと、逆にシンプルじゃないと伝わらない、ということもあるんでしょう。


さらにふと思ったんですが、2ちゃんねるや携帯メールなどが人気である理由って、このことも関係するんじゃないでしょうか?
「シンプルなコミュニケーションは楽」ということ。

複雑で高度な世界となった現代、コミュニケーションは確かに疲れる側面もあります。
けれど、人は人である限り、コミュニケーションを求める。
そこで、掲示板とか携帯メールで、シンプルなコミュニケーションを行う・・・

といった考え方はどうなんでしょうね?
テトリスみたいな昔のシンプルなゲームが、最近になってまた流行ることも同じじゃないかと思うんですけど。


とりあえず手段は一つじゃないです。
手段がお互いに補完し合えるように、柔軟に選択していく必要があるのでしょうね。


そして最後に気になったのは、「手書き」。
なんだか本当に手書きって、しないんですよね。
ノートを取るぐらいか。
手書きで手紙なんてもってのほかです。

致命的なのが、はっきりと手書きの良さが分からないということ。

うーん、確かに手書きの手紙を貰うのは嬉しいんだけど・・・。
敢えて「手書きの手紙を書こう!」と意欲を持つ程には、
まだ手書きの良さが分からないです。

多分、同年代の学生とかだったら、同じような感じなんじゃないかなぁ??

良いのか、悪いのか。
うーん、と唸りつつ。


ざっくばらんですが、終わり。

知識とは。

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/02/11

知識とは。

知識とは、何だろうか?

英語に訳すと、Knowledgeになる。


私は以前、とある先生から、
Data,Knowledge,KnowHow
は、違うんだよ、と教えられた。

この教えは当時の私にとって新鮮で、とても納得した。


なんだか、日本語の知識って、堅い言葉に感じる。
語感が原因なんだろうか。

知識とは、「理」と「情」で成り立っているそうだ。
だが、現実では「理」の部分ばかりがクローズアップされ、
「情」の部分は忘れられて知識を語られることが多い。

このことも、知識が、堅い言葉に感じる理由の一つかも知れない。


私は、知識が好きだ。
「知的好奇心が旺盛」と、小学校の通信簿に毎年書かれていた。

本などのメディアが大好きだし、新しい物も好き。
そして人と話すのも、得意ではないが、好きだ。


そんな私が思うのだが、
Knowledgeは、Dataがないと、Knowledgeにならない。
そして、KnowHowも、Knowledgeがないと、KnowHowにならない。

「理詰め」ではなく、
直観から、経験から、
そう思うのだ。


話は変わる。
FAJの野口さんのブログで拝見したのだが、
情報の共有化には3つの深度があるそうだ。

ここでは少し、引用させていただく。

深度1・・情報の共有化(知っている)
深度2・・意味の共有化(わかっている)
深度3・・考え方の波長の共有化(気持ちが通じる-共感・感動・やる気)

これは、私が最初に示した、
Data,Knowledge,KnowHow
にも似たところがあるのではないだろうか。

深度1がData、
深度2がKnowledge、
深度3がKnowHowと、
置き換えることが出来るように、思う。

また、深度1では「理」が強く、
深度3に深まるにつれ、「情」が強くなる。


ただ、私は深度4も、存在するのではないかと考えている。
Dataと対極にある、「情」そのものである。

例えば、宗教。
これは明らかに、「気持ちが通じる」のレベルを超えている。

それを表現する、適切な言葉は持たないので、言いっぱなしになるが・・・。
Mindとも考えられるが、少々、KnowHowから飛びすぎている(関連がなさ過ぎる)
気がするので、もっと適切な言葉があるのだろう。


少々話がずれてしまった。

話を戻すと、やはり知識は「理」と「情」で成り立っているように思う。

そして、「知識」というものは他者に伝える物であり、
(伝える物だから、「知識」という言葉が存在する)
共感もここから産み出る。


現代の高度情報化社会において、
「知識は要らない」
という友人が、意外に多い。

そして、
「気持ちを大事にする」
と。

単にITオンチであるから、など、
その理由は様々であるが、本当に多いのである。

間違っているとは私も思わないが、
改めて、自分の言う「知識」と「気持ち」を、
見つめ直すのも良いと思う。

知識を拒絶すべきでない。
目の前にある知識を、喜んで取り込むことこそが、
人としての喜びなのではないだろうか。


これからも、社会は変化する。
どんどんと、新しい価値観が産まれるのだろう。
そして、社会で生きている以上、誰もが何かを産み出す。

何かを産み出す時に、つまり生きていく上で、
大切な物は、「理」と「情」による知識だと、私は考える。


■この記事を書いたきっかけ
日経ビジネス
「知」を結合し、育てるのは何か? 科学的アプローチだけで新しい価値は生めない

2008/02/11 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2008年01月30日

信は万物の基を成す

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/01/30

信は万物の基を成す

絆結(ばんゆう)』さんの記事で見つけた言葉…

なるほど、その通りだ。
まあ、否定のしようはないと思う。

けど、言うが易し行うが難しだなぁ。。。

ホントこれ、苦手です(^^;
苦手意識を持っていないと、忘れちゃいそうってのもあるけど。

ちなみに、絆結さんによると、

<「信」のなりたち>

人をあらわす「イ」(にんべん)と、
心に思っていることを口に出して言う意味の「言」とをあわせた字。

人の言葉にうそがない、つまり「まこと」の意味をあらわす。

らしいです。

勉強になりますm(__)m

2008/01/30 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2008年01月26日

ボランティアって?

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/01/26

こんばんは、古田です。
今日は、前から常々思っていたことを書いてみようかと。。


ボランティアって、何なんでしょう?
みんなは、どういうイメージがあるんだろう。

奉仕活動?社会活動?市民活動?無償の労働力? 

私は中学生の頃からボランティアっぽいことをしてきましたが、未だにこの言葉の受け取り方は人それぞれで、共通した定義がない気がしています。


広辞苑で調べてみると、
自発的にある事業に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家。
とありました。

広義では、「自発的にある事業に参加する人。」
狭義では、「社会事業活動に無報酬で参加する人。」
ということなんでしょうね。

私にとっては、後者は通説(一般に言われている説明)だと思っています。
本来は前者なんだけれども、いつの間にか後者の説明が一般的になった、という感じです。


ちょっと余談になりますが、そういえば以前、N.Yの弁護士さんに、「私はボランティアをしています」って言ったら、「ボランティア…?」と返されました。

英語でボランティアと言ったら一番に出てくるのは軍であって(ボランティアには志願兵という意味があるからだと思う)、日本のボランティアという意味とはかなり違うニュアンスがあるそうです。

その後、その会話を見ていた英語べらべらの方(というか通訳・翻訳者の方)に、「彼はNPOをしているんだよ」と助けて頂きました。

欧米ではNPOはかなり一般的です(NPOを就職先とすることすら一般的なようです)。
むしろNPOという言葉が有名過ぎるんでしょうね。話を聞いていると、日本でいうボランティア活動は、NPOに含まれて説明されるようです。


話は戻して日本のボランティアですが、どうも「ボランティア」という言葉の受け取り方は、人によって違うようです。社会奉仕活動をする人、無報酬で活動する人、などが、私が聞いた中では多かった答えでしょうか。

下手をすると、都合の良い解釈をボランティアに対してする人もいます。

「お金がないから、ボランティアを集めてそれで人手を補おう」
「お金がないならボランティアにさせれば良いじゃん」
とか。

それって違うくね?と、私は思うわけです。


FAJの九州支部長でもある日本ボランティアコーディネーター協会のKさんが、ボランティアについて語るのを拝聴させて頂いたことが、何度かあります。そこで言われていたのは、
「ボランティア=奉仕ではない!自発的に、我慢できないからやるのであって、やりたいならやる、やりたくないならやらない。それがボランティアだ」 
ということでした。

「っへー」と思いました(笑)
多分言っている内容は同じなんだと思いますが、こういう表現には初めて触れました。
確かにそうですよね。
「自発的にある事業に参加する」んですから。


ここで声を大にして言いたいのは、
  ボランティアは無償の労働力ではない!
ということ。

まだまだ「ボランティア」という言葉の一般的な理解が一致していない気がします。けれど、ボランティアは無償の労働力ではない、ということは、そろそろ全ての人に理解して欲しいです。


さて、最後に。

某役所が最近作った資料より。

活動に参加に際して、謝礼を必要とせず、ボランティアでの参加を行っていただける団体

うーん、この文章における「ボランティア」の意味は、何なんでしょうね?(^^;

やっぱり、まだまだでしょうか。

2008/01/26 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2008年01月22日

『思わず笑ってしまった「民間が選んだ2007年中国10大ニュース」』

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/01/22

 2008年の新年早々、中国のインターネットサイト上に「民間が選んだ2007年中国10大ニュース」という非常に批判精神に富んだ記事が掲載されて話題になった。

というくだりで始まるこの記事。
ほんと"笑える"ので、お勧めです。

うちの大学は中国からの留学生が結構いるので、良く話します。
ゼミで社会問題について議論したこともあったけど、やっぱり中国は酷いそう。
ただ、改善もかなり進んでいるそうで、この10年間で相当変わったんじゃない?という言葉もありました。

それでもやっぱり自分の国について知らないことも多いらしく。
日本のマスメディアのセンセーショナルな報道もあるようですし。

とりあえず、中国に対する、国内外のポジティブな視線と、ネガティブな視線の乖離は激しいみたいです。
「北京オリンピックに向けて、中国株は買い!」って声も聞けば、「中国は危ないしなー」という声も聞きます。

なんとなく話を聞いていると、それって両方ともステレオタイプ(偏見)なんじゃないの?って思ってしまいます。
けれど、そのような新・旧を含有しているのが中国って国なんでしょうね。

何事も深い中国、うまく付き合うことが出来たら、どの国の人ともうまくできると思います(笑)

ただ、そんな中国も民主化は確実に進みそうなのかな?

2008/01/22 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2008年01月20日

西日本新聞連載、「仕事のかたち-何のため 誰のため」

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2008/01/20

こんばんは、古田です。
今月の頭、西日本新聞の朝刊で、「仕事のかたち ―何のため 誰のため」と題した連載がありました。

色々な境遇の方の「仕事」について追った記事です。
それがサイト上にもアップされていましたので、ご紹介します。

  1. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<1>仕事4つ掛け持つシングルマザー 一寸先の闇に光を求めて(01/04)
  2. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<2>鋳物一筋40年、ミリの狂い見逃さず 物づくりは人生そのもの(01/07)
  3. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<3>保健室の先生、定年直前にうつ 頼り頼られ、でいい(01/08)
  4. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<4>板挟みの中間管理職 心のきしみに抗しながら(01/09)
  5. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<5>ワンクリックに懸かる家族の生活 「虚業」と言われようと(01/10)
  6. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<6>空き缶集めのホームレス 自転車を駆ってつなぐ命(01/11)
  7. 【連載】仕事のかたち-何のため 誰のため<7完>脱サラのバイオリニスト 遠回りをしたとしても(01/15)

私にとっては、この7つの「仕事」が、紹介するのにバランスが取れているとはあまり思いません。
確かに色々な「仕事」・境遇が紹介されていますが、多少偏りがある気もします。

ただ、リアルな実情――リアルな"実情"、おかしな言葉です――が読めたのは、良いなと思い、紹介します。

まあ、暇な時があったら読んでみてください。
読みやすく、そんなに時間も掛かりませんから。

2008/01/20 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2007年12月30日

『貧困スパイラルと下流食いビジネスに覆われた日本』

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2007/12/30

「無料お試しキャンペーン実施中、1週間無料、1ヵ月35%オフ、3ヵ月13%オフ」
 こんなチラシを片手に、営業マンがセールスをかける。この商品は化粧品ではない、コピーのリースでもない、人間だ。つまり、派遣労働者を商品としてセールスして、いかに競合他社との競争に勝つかを目指しているのである。

貧困スパイラルと下流食いビジネスに覆われた日本

現代の日本。
過去の話でも、遠い国の話でもありません。現代の日本の話です。

ごく一部の話、そんなわけもありません。
「06年度の派遣労働者数は前年度比26%増の321万人で過去最多」。
朝日新聞

特に今から就職していくような世代にとっては、とても身近な話になりつつあるのかも。

個人的には、「何がCRS(企業の社会的責任)だ!表面だけ良くすればそれでいいのか」と、企業に対して憤りを感じざるを得ません。

政府も、自由化を進めるのは早かったのではないでしょうか。
まだ、日本は自由にやれるほど、成熟していません。
倫理なんて全くない、野蛮な国なのだから。

2007/12/30 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2007年12月27日

ケイズブルーイングカンパニー!

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2007/12/27

こんばんは、古田です。

ふらふらとブログを見ていると、㈲ケイズブルーイングカンパニーの記事を、ふくおか商店街blogで発見しました!
071227brewmaster.jpg (36853byte)
The BrewMaster! (写真はふくおか商店街blogより)

分かる人ぞ分かる、あのお店!
中村から九大のほうへ歩いているときに、必ずあのお店の前を通る・・・。
幾度と通っても、必ず閉まっていた、あのお店。
通る度に、「あのお店ってなんだろうねー?」と語っていた、あのお店・・・。

漸く謎が解けた!(笑)

へー、ビールつくってんだー。
そんな雰囲気は確かにあったけど、まさかあの中で地ビールを作っているとは思わなかった。
かっこいいな。

そして残念、飲みに行ってみたいけど、ワタクシは炭酸がダメなもので、ビールも同様にダメなのです(^^;
かぼす&ハニーとか、美味しそうなんだけどなぁ。

てか、この会社の創業者で社長の加藤さん、福大工学部卒らしい。
おまけに、福大とコラボで『福大福』というブランドを発売しているとか!
・・・そーいえば、スカイラウンジで食べたとき、そんな案内の紙を見たなぁ(古田は結構スカイラウンジに出没します)。
でもまさかあのお店だったとは。
すっかり忘れてたぜ。


やー、でもすっきり!
そーか、あのお店はビール作ってたのか。
おまけに福大の先輩だったのか。

ふむふむ、凄いっす。
機会があればいこーっと。ビール好き連れて。


(22:35追記)
すみません、スラッシュが一つ足りなくて写真が表示されていませんでした。。

2007/12/27 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2007年12月26日

先進国の人道活動評価

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2007/12/26

そういえば、先月にこんな報告書が発表されていたんでした。

2007/11/29-20:19 日本は23カ国中18位=先進国の人道活動評価-独立機関

 【ロンドン29日時事】開発支援や紛争解決に関する研究を進める独立機関「開発援助研究会」(DARA、本部マドリード)は29日、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)加盟23カ国・機関による人道支援活動の実態を評価し、ランク付けした調査報告書を公表した。上位を北欧諸国が占める一方、日本は18位にとどまった。
 同報告書は、災害被災国や紛争地域などに対する援助活動の効率性を高めることを目的に、DARAが独自に作成。援助金額や被援助国での活動実績などの要素を分析して数値化し、国別に比較した。1位はスウェーデンで、ノルウェーとデンマークがこれに続いた。ほかは英国9位、ドイツ13位、米国16位など。最下位はギリシャだった。

(時事通信)

さて、日本はお金は出しているはずですが。
23カ国中18番目の評価。

時間があれば、金銭の単純比較をしてみたいです。
それによって、費用対効果が分かるのでは。

ほんと、北欧には頭が下がります。
実は私、高校生の頃はノルウェーに住みたいと思っていましたもんね(笑)

日本も、「安心安全な国」だと謳われた時期もあったんですから、福祉国家を目指しても良いと思うんですがね・・・。
日本は、どのような国を目指しているのでしょう?
国家のアイデンティティーは、どこに。

2007/12/26 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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2007年12月25日

本気で徴農政を考えたらどうなる?

この記事の場所: オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム @2007/12/25

ことの発端は、東国原知事の発言。

東国原知事が徴兵発言で釈明 今度は「徴農制」
2007.11.29 21:24

 宮崎県の東国原英夫知事は29日、徴兵制に賛意を示したとされる発言について「徴兵制を容認していない。戦争に直結するものでは全然ない」と弁明した。同時に、若者に一定期間、強制的に農業を体験させる「徴農制」などの仕組みが必要との考えを強調した。

 東京都内で開かれた「道路整備の促進を求める全国大会」終了後に報道陣に答えた。

 東国原知事は「徴兵制」発言について「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった」と釈明。

 「この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と解釈してほしい」とした上で、知事は「例えば徴農制とかで一定期間、農業を体験するとか、介護、医療、災害復興の手伝いなどをある程度強制しないと今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけないと危惧(きぐ)している」と強調した。

 東国原知事は28日に宮崎市内で開かれた県民との座談会で宮崎市内で開かれた県民から直接意見を聞く「県民ブレーン座談会」で「僕は徴兵制はあってしかるべきだと思っている。若者は1年か2年ぐらい自衛隊か、ああいうところに入らなければならないと思っている」と発言していた。

産経ニュースより

それで、この徴農制を本気で考えてみたら、どうなるだろうか。
もちろん方法論のHowではなくて、何をやったら何がどう変わるかのWhat、という論点で。


先ず、徴農制を行うとして、その目的は?
東国原知事は、

  • 現状では、若者は「今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけない」
と言っている。
すると、徴農制の目的は「若者が、今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけるようにする」となるだろうか。

成る程確かに、「若者が、今後の担い手不足、社会構造の変化に付いてい」くというのは、とても大事なことだと思う。
日本は、2006年に人口が純減に転じた。
単純計算で、全てが今のままだとすると、経済成長率も下がるのみということになる。

それどころか、現在の日本の人口ピラミッドは逆三角形の形となっているので、老人=非労働人口を少ない労働人口で養うことになる。
これが「今後の担い手不足」。これも単純計算の式の中に組み入れると、更に経済成長率の低下要因となる。

また、もうすぐ2007年も終わるが、まだ人口減少は実感としてはない。
だが、あと何年か、何十年かすると、嫌でも人口減少を肌で感じることになる。
老人と子どもに対する見方は、今とは違う物になるのではないだろうか。

見方が変わるだけならまだ良いが、おそらく、その周りの制度や在り方なども変わってくるだろう。
これがさしずめ「社会構造の変化」だろうか。


うん、それじゃあこれら「今後の担い手不足」「社会構造の変化」に対して、どうなったら良いんだろう?
認識?

認識するだけで良いのかな?
確かに認識さえすれば、行動につながる、という考え方もあるな…
逆に、認識だけしても、行動にはつながらない、とも言える。
この辺は、言葉の問題であって、現実世界では、どういう環境・雰囲気を作るか、ということが大切なのかも知れない。

じゃあ、どういう環境・雰囲気を作ろう?
学生達それぞれが、主体性を持って、自分たちで考え、行動する?
それとも、日本というものを愛国心を持って見つめ直し、国のため、自分たちのために頑張る?

ここは、よく分からない。
東国原知事は、「付いてい」けるように、と言っていたが、そもそも「付いていく」とはどういう意味だろうか。
とっても抽象的で、曖昧な言葉だと思う。


じゃあ逆に、徴農制を制定することで、どうなるだろう?
若者に、どんな影響があるのだろう。

これは全くの(少なくとも私にとっては)新しい制度だと思うので、想像で語るしかない。
ただ、多少なりともヒントはあるだろう。例えば、徴兵制とか。

徴兵制を敷くことで、若者達にはどのような影響があるのだろう。
良い影響も、悪い影響も、あるのだろうな。

徴兵制がヒントとか言ったが、私にはさっぱり分からなくなった。
良い影響と悪い影響があるのは確実だと思うが、具体的に、どのような影響があるのだろうか。

それを語るには私は若過ぎるのだろうか。
ただ、何となく思うのは、マクロ的な影響は何一つないのかも知れない、ということだ。

そもそも価値観が多様化し、若者といってもそれは年代を示しているだけで、一つの思想・価値観集団を表しているのではない。
だから、例え全員に同じ経験をさせても、感じ方は若者それぞれ違うんじゃないだろうか。

何を当たり前な、と仰るかも知れない。
そう、当たり前だ。
同じ経験をさせても、全ての人に同じ影響を与えることは出来ない。

昔からこれは当たり前のことだったんだろう。
だが、現代では更に進み、例えばAという同じことを100人が経験したとしたら、
昔は50人が同じ影響を大なり小なり受けた。
しかし、現代では、同じ影響を受けるのは、10人なんじゃないだろうか。

この根拠を、具体的に示すのは難しい。
ただ、何となく、そう思うだけだ。
大人は50の集団が2つあるだけかも知れない。
けれど、若者は、10の集団が10つある気がする。


徴農制を本気で考えたらどうなるか、と銘打って、徒然に書いてきた。
ここで今の、私なりの着地点を一言で述べるなら、
「徴農制などは学生に影響を与えることが出来ないため、無意味」
となるだろうか。

一言で言えば「個人主義」なのかもしれない。
ただ、個人主義という言葉はアメリカの言葉だった。
日本での個人主義は、アメリカのそれとは、全く別の物なんだろう。

もしかすると、社会構造の変化についていけていないのは、東国原知事なのかも知れない。

2007/12/25 | オーサーズ > 古田ウォーリー > コラム | |
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